初めて走った20km

これが原点かもしれない

今日、仕事で高校の周年記念誌のデザインをしていて、過去の記念誌があったはずなのでそれを探していた。すると思いがけない懐かしいものが出てきた。それはある高校の「20周年記念式典」の資料一式だった。

2003年にひょんなことから息子の高校のPTA本部役員を引き受けてしまったのである。電話をいただいた前会長の切羽詰まった声に居た堪れない気持ちになり、その場で引き受けてしまったのである。野生の勘は長嶋茂雄並みと自負している僕は、その時感じたひらめきを大事にしたいと思ったのです。
「この人はいい人だ。この人を助けたい」と。

その流れで、またまた断れない性格から2004年〜2005年と連続でPTA会長を務めさせていただいたことがある。そして会長2年目の2005年に学校創立「20周年」を迎えたのです。あろうことか、仲間の本部役員と「創立記念持久走大会」に出ようということになり、前年からタバコをやめて準備した記憶がある。誘った人はすでに走っていて速いランナーの方だった。

地元のランナーも参加

今では考えられないのかもしれないが、当時は地元のランナーの方も参加できていて、僕よりも年配のランナーが参加していた。スタートしてゆっくり走っていると、その方が並走してくれていろいろ雑談した。しかしあまりにも僕がゆっくりペースなので、
「そんなゆっくりなんですね…」と一言言い残して、サッと先に行ってしまったのである。これは今になると解るのだが、マラソン大会(長距離走)に年齢は関係ない。練習している経験者には敵わない。

35km(17km)の壁

その時感じたのが、マラソン選手がよく言う「35kmの壁」であった。自分も16kmくらいまでは遅いなりにも走り続けることができた。しかし17kmを超えた時に当然。足が止まったのである。フルマラソンに換算するとだいたい35kmくらいのところなのである。これは初めての経験なので驚いた。

ランニングデザイナーの原点である

なんとかゴールできたが、このランが今となっては「ランニングデザイナー」の原点ではなかろうかと思っている。この後、翌年の春に「天平マラソン(ハーフ)」に出ている。ここからランニングデザイナーの長い歴史が始まったのである。

なんか不思議だよね。
17年経過して年寄りになっているんだけれど、当時より30分も早く走れるようになっている。練習は楽しい。


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