僕のバイブル

辛い時に思い出すあの場面

辛い時に、漫画とか映画とかの一場面を思い出して、
「よ〜し、頑張るぞ〜」と思うことってありませんか?僕は、
「もちろんあります!」それはいろいろありますが。最近は小さい頃に読んだ漫画のシーンが思い浮かんでくるのです。昔のブログにも何回か書いたことがあるのですが。それは、水島新司「男どアホウ甲子園」なのです。

全てうろ覚えなのをご容赦ください

この漫画は小学生〜中学生の時期に読んだのだが、その後、北関東の田舎では数少ない阪神ファンになったことも、この漫画の影響が大いにあったことは間違いないのである。まず思い出すのが、主人公藤村甲子園には双子の弟がいて、1人は素直で藤村甲子園を応援しているが、もう1人は勉強ができてクールで、
「野球なんか…」という、斜に構えたキャラだった。だが、藤村甲子園が高校生時代、夏の甲子園大会で優勝した時にスタンドに仕方なく応援に来ていたのに、優勝が決まった瞬間に、周りが驚くほど喜び、感情を爆発させるのである。この場面には、小学生ながら感動した。何故ならば自分もそういうキャラだったからである。本心をあからさまにする事に嫌悪感を持っていたというか、そんなカッコつけ馬鹿野郎だった自分を見透かされたような気になって、ますます水島漫画の世界に引き込まれたのである。

藤村甲子園、大学時代

テレビアニメはみていたが、漫画にハマったのはその後だった。週刊誌連載終了後だったので、気に入った回の単行本をコツコツ買っては読んでいた。印象に残っているのは、大学時代の一場面である。何故か「東京大学」に入学した甲子園が、野球部に入り、4年生と勝負をする場面である。4年生の投手がマウンドから、そして甲子園が何とレフトから、ヨーイドンで投げて、結果甲子園の球が先にキャッチャーに到達したのである。実際にはありえないけれど、自分の実力を示すのには最適な場面だなと印象に残っている。

神宮響との対決

これもうろ覚えだが「神宮響」との対決シーンは印象的である。結局、火の玉のような藤村甲子園の豪球により、神宮響は再起不能になるのである。(デッド・ボールじゃないよ。捉えたのにバットは折れ、腕も折れ…)

阪神タイガース時代

「時阪神タイガース」に入団してから、不調に陥った藤村甲子園を見た元ライバルたちが、言ったセリフが忘れられない。
「あの頃の速球には怒りがあった」である。自分もそうだが、人生のあらゆる場面において、怒りをぶつけて全力で取り組んだものほど力を発揮できるものはないのである。このストーリーから、
「怒りは他人にぶつけるのではなく、自分の成長のために消費しよう」と思ったのである。

虎風荘は漫画と一緒(同じ)

中一の時に、センバツ栃木県代表校に中学の先輩が2人いて、1人の方のお父さんが観光業をやっていて、応援バスを出してくれて初めて甲子園球場に行った。早く到着したので前の試合を当時は無料だった外野席で過ごそうと、向かった時に阪神タイガースの独身寮「虎風荘(こふうそう)」が目に入ってきた。一緒だった友だちにはバレなかったが、人知れず感激した。
「漫画と一緒だ」そして、これ以外にも水島新司先生の野球漫画から受けた好影響は枚挙にいとまがない。
「ユニフォームの着こなし」など、特にそうで、中学時代はチームメートから
「セイドンが一番ユニフォームが似合う」と言われたほどである。そして、ここだけの話だが、下級生の女の子から、
「ユニフォーム姿と笑顔で見える白い歯に憧れています」というお手紙ももらったことがあります。
「水島先生、ありがとうございました!」

追伸。

還暦を過ぎた今、こんなことを思い出すのは、いかに現状が厳しいかを物語っているようでお恥ずかしいが、実際そうなのだからしょうがない。今後も藤村甲子園の生き様のように、怒りをパワーに前進していきたいと思う今日この頃である。それから、今覚えば妻を好きになったのも、水島漫画に出てくる女性に似ていたせいかも知れない?と今ふと思います。


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